
「新しい命」
下北半島の春は、各地の桜が散りはじめた頃からはじまる。茶褐色の山々の
あちらこちらにコブシの白い花が咲き、日当たりのいい斜面のブナが芽吹い
て春の色が増してくる。
雲の切れ間から、暖かな春の陽光が差し込んできた。それまで、母親の胸
に抱かれ、気持ちよさそうに眠っていたアカンボがゆっくり這い出し、かた
わらの古い木に登り始めた。母親はしばらくようすを伺っていたが、大丈夫
だと考えたのか、少し離れて、芽吹いたばかりのイタヤカエデの葉をほおば
りはじめた。
木の高さは50センチそこそこだが、アカンボからみると、身の丈を越え
る大木である。おそらく初めての挑戦であろう。途中の二本の枝に手と足を
かけ、懸命に頂上を目指している。手はともかく、足の指使いはまったく
おぼつかない。無理もない。生後一ヶ月である。予想どおりてっぺんには
上がれず、結局、地面に落ちてひっくりかえってしまった。母親はちらっ
と一瞥したが、さして気にとめる素振りも見せず、採食の手を休めない。
アカンボは、しばらくカメのように手足をバタバタさせていたが、自力
でようやく起き上がり、また登り、今度は枝をかじりはじめた。そろそろ
歯がむずむずしてきたのかもわからないが、単純に、木登りに飽きて、興
味が枝に夢中になっている。あまりにもこちらを無視しているので、ちょ
っといじわるをしてやろうと思い、カメラを構えて、ひと声掛けた。
本当の一瞬だけ視線をよこしたが、すぐまた、無視された。まもなく、
満腹になった母親が戻り、無造作に片手でアカンボをつかみ、お腹に抱え
込んで、そのままさっさと行ってしまった。アカンボの両手、両脚の指は
しっかり母親の脇腹の手を握りしめていた。
森の中は、新しい命の鼓動で、本格的な春を迎える。
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いそやまたかゆき
2000/3/1
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